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2026/05/28 13:37

水ヶ塚駐車場から歩きはじめて、樹海、そして双子山へ。
富士山の山頂を目指すのではなく、その麓を歩いてきた。
富士山という山は、遠くから眺めていても、近くにいても、やっぱり少し特別な存在感がある。
大きすぎるというか、こちらの感覚の中に簡単には収まりきらない。
登る対象として見る富士山ももちろんあるけれど、今回はその頂を目指すのではなく、
富士山の周辺に広がる森や火山の地形を、自分の足でゆっくりたどるような一日だった。
水ヶ塚駐車場を出ると、はじめは森の中を歩く。
足元はやわらかく、木々の間から入る光も穏やかで、富士山のすぐ近くにいることを忘れるような静けさがある。
けれど、歩き進めるうちに、地面の質感や岩の表情から、ここが火山の山麓であることを少しずつ思い出す。
森の中に残る溶岩の気配。苔の下に隠れている黒い岩。乾いた土と、湿った空気。
そのひとつひとつが、ただの森ではなく、富士山の時間の上を歩いているのだと感じさせてくれる。
双子山へ向かうにつれて、景色は少しずつ開けていく。
森の中にいた身体が、風の通る場所へ出ていく。
視界が広がり、足元の感触も変わる。
黒っぽい火山の土、ゆるやかな斜面、遠くまで抜ける空。
それまで森の中で内側に向いていた感覚が、ふっと外へ開いていくようだった。
双子山は、富士山の大きさをすぐそばで感じられる場所だった。
山頂を目指しているわけではないのに、富士山の存在はずっと近い。
むしろ登らないからこそ、その大きさや裾野の広がりを、少し離れた場所から感じることができる。
見上げる富士山ではなく、横にある富士山。
登る山ではなく、歩く時間の背景としてそこにある富士山。
その距離感が、今回の山歩きの気持ちよさだった。
山に登るという行為には、どうしても目的地が生まれる。
山頂に着くこと。標高を上げること。見晴らしのよい場所へ出ること。
でも、富士山の麓を歩いていると、目的地に向かうというよりも、場所そのものを味わう感覚が強くなる。
森を抜けること。溶岩の上を歩くこと。風の通る斜面に立つこと。
そのひとつひとつが、ちゃんと山歩きの時間になっている。