2025/12/11 09:00

RIDGE MOUNTAIN GEARは、つくり手の顔や現場の空気が見えにくくなってしまった今のアパレルのあり方に、ずっと違和感を抱いてきました。
一枚の服ができるまでには、生地や糸をつくる人、染める人、織る人、裁断する人、縫う人、仕上げる人。
数えきれないほど多くの手が関わっています。にもかかわらず、店頭で目にできるのは、ブランド名と「日本製」や「○○製」といった、ごくわずかな情報だけです。
どこで、誰が、どんな環境でつくったのかは、たいていブラックボックスのままです。

なぜブラックボックスになってしまうのか。
その背景には、コスト競争や多重下請けの構造があるのだと思います。たとえば縫製工場を頻繁に切り替え、国境をまたいで発注先を移し替えながら、ときにギリギリの条件で生産をお願いする。
そんな状況では、「どの工場でつくっていますか?」という問いは、ブランドにとって都合の悪い質問になってしまいます。
さらに、アパレルのブランディングは長い間、
「表舞台=デザイナーの世界観やビジュアル」
「舞台裏=生産背景」
という分け方をしてきたように思います。
光を当てるべきは“顔”であって、現場は見せなくていいもの。そんな空気が、いつのまにか当たり前になってしまったように感じます。
でも、僕は服や道具の価値は、タグに印刷されたブランド名だけでは語りきれないと思っています。
ミシンの前に座っている人の集中したまなざしや、アイロン台のそばで何度もシルエットを確かめてくれる手つき、針の音が途切れない工場の空気。そういったものまで含めて、ようやく「この一枚をつくる」という行為が成り立っているはずです。本来なら、そこで積み重ねられている時間や技術こそ、もっと真ん中に置かれていいのだと思います。

これは、RIDGE MOUNTAIN GEARというブランドの出発点が、自分自身の手によって作り出されてきたこととも関係している気がします。
「僕が縫ったものだから胸を張ってお届けできる」というところから、RIDGE MOUNTAIN GEARは始まりました。
だからこそ、僕の手を離れて工場で生産されるようになってからも、生産背景をできるかぎり開いていくことを選びました。
製品ページや品質表示のなかに、実際に縫製を担ってくださっている工場の名前を明記する。単に「日本製」と書いて終わらせるのではなく、「どの工場と一緒に、どのようなやりとりを重ねてきた結果として、この製品がここにあるのか」を、できるだけ具体的に伝えていきたいと思っています。
僕にとって縫製工場は、「外注先」ではなく、時間をかけて関係を育ててきたパートナーです。
納期やコストの話だけでなく、「この縫い方の方が壊れにくい」「この仕様なら長く着てもらえる」と、互いの経験を持ち寄りながら、少しずつかたちを整えていく。その過程をまるごと隠してしまうのは、どこか違うと感じました。むしろユーザーの方にも、「この服の向こう側には、こんな現場と人たちがいる」ということを、きちんと手渡したいのです。

生産背景を明記することは、派手な取り組みではありません。けれど、「見えなくていい」とされてきた領域に、すこしだけ光を当てる試みだと思っています。誰がつくったのかを語れる服は、つくり手にとっても、着る人にとっても、少しだけ責任のある存在になります。その責任の重さを引き受けながら、「この工場と一緒に、この服をつくっています」と言い切れるものだけを送り出していくこと。
そして2026年は、こうした取り組みを、これまで以上に明瞭なかたちにしていく一年にしたいと考えています。
どの工場で、どんな人たちが、どんな時間を積み重ねているのかを、文章や写真、インタビューなどを通じて、もっと具体的に伝えていくつもりです。一枚一枚の服の向こう側にある風景を、「なんとなく察する」のではなく、ちゃんと見て、知ってもらえるようにすること。
それは、RIDGE MOUNTAIN GEARにとって、余力があれば取り組むオプションではなく、「やるべき仕事」そのものだと思っています。
生産背景を開いていくことを、これからもブランドの標準として続けていきます。


